飛鳥の旅(1) 飛鳥駅東側の古墳
『奈良紀行』
★TOPメニュー 『奈良紀行』 はじめました
ちょっと古いご報告になりました。行ったの9月だよ(笑)。
彼岸花が咲き乱れ、田圃の稲はまだゆさゆさと揺れていた(収穫前)…
とりあえず、本日ご紹介は…
奈良・飛鳥方面の旅(1)
本日のルート←画像を★クリックすると大きく…
はじまります!
09:00 近鉄・吉野線『飛鳥』駅 到着
(1)周辺情報の収集⇒飛鳥総合案内所「飛鳥びとの館」
★駅前スグ。MAPほか情報盛りだくさん!
(2)足の確保 ⇒レンタサイクル
★我々は、編成飛行とする。
ターゲット(行き先)をGETした地図でメンバーと最終確認。
ブラックタイガー、発信します!! …Y御前のマネ。でも、編成飛行だからBTです。
09:18 【岩屋山古墳】いわややま(終末期古墳)
(通称、飛鳥石)の切石を用いた南に開口する両袖式の横穴式石室
飛鳥駅を北へ。【吉備姫王墓】へ行く途中の道(信号)を左折。
近鉄線路を超えて東側へ。ちょっと走ったところ。
右折は標識があるので間違えない。
無事、第一の標的を撃破したことに気をよくした、BT隊。
そのまま続けて『マルコ山遺跡』へ向かおうとしたが…
道をLOST。
というか。
あまりにも情報が不足しすぎていることが判明(手元地図の縮尺等がいい加減)
次回準備後リトライすることとし、当初のターゲットに戻すこととした。
だが、思わぬエネルギーの流出に、隊員たちの士気は低下。
朝市を襲撃し、エネルギー補給をすることとした。
(出発してから1時間も経過してないのに~(-_-;))
「うぎゃぁぁ~~」と悲鳴をあげながら、坂道をノーブレーキ(車道だぜ)
でこぼこ&細い山道をBTで突っ走る我々。(お尻が痛かったよ…)
しかし、整備されたBT号は快適に我々を力強くつっぱしってくれる。
途中から、標識通り、山道へ。 迷う前に表示があるので、安心です。
09:55 【牽牛子塚古墳】けんごしづかこふん(終末期古墳)
説明⇒ ★
1.天皇陵特有の墳形とされる八角墳である
2.古墳の隣で巨石をくりぬいた石室が見つかった⇒越塚御門古墳?
3.日本書紀に以下の記載がある
『斉明天皇と間人皇女を合葬した墓の前に大田皇女を葬った』
ということで、
ココが斉明天皇と間人(はしひと)皇女の合葬墓と考える説が有力となり。
天皇陵の見直しは1889年以降はない」ということだが。。
階段を下りると…
鉄柵の中⇒
鉄柵の内部は、左右二つの石室(あまりに近距離過ぎて二つの石室を同時に撮影できない)
ただ、くりぬかれているだけの空間ですが、古代ロマンを感じませんか?
山道を戻り、途中分岐にあった、もう一つの遺跡へ。
岩屋山古墳からまっすぐ向かえばそんなに距離はない。
真弓鑵子塚古墳と牽牛子塚古墳は、途中で左右に分かれれるだけ。
10:10 【真弓鑵子塚古墳】まゆみかんすづかこふん7世紀後半頃
民有地のため立入禁止でした。
どっちみち保安及び保全のため封鎖され、石室内部の見学はできない。
と、消えかけの張り紙があったよ(上、右写真参照)
上記金網の張り紙。★この先に遺跡が…
こちらは、立派な立て看板もありません。ぺらーんと紙が貼ってあるだけです。
(上記参照… たくさん遺跡があるからでしょうか。扱いが…)
金網の向こうには、階段(上記右写真参照)。それ以上は、よくわからない。
BT隊は、これ以上の山道を自転車で走破は避け、
(豪雨の翌日だったので、当日は晴天でも足元がかなりヤバイため)
普通の飛鳥コースに戻ることに。
以上が近鉄線飛鳥駅東側の古墳。
(ふつう、飛鳥といえば西側だから、マイナー。。)
次から、『飛鳥歴史公園』に入ります。
★TOPメニュー 『奈良紀行』 はじめました
ちょっと古いご報告になりました。行ったの9月だよ(笑)。
彼岸花が咲き乱れ、田圃の稲はまだゆさゆさと揺れていた(収穫前)…
とりあえず、本日ご紹介は…
奈良・飛鳥方面の旅(1)
本日のルート←画像を★クリックすると大きく…
はじまります!
09:00 近鉄・吉野線『飛鳥』駅 到着
(1)周辺情報の収集⇒飛鳥総合案内所「飛鳥びとの館」
★駅前スグ。MAPほか情報盛りだくさん!
(2)足の確保 ⇒レンタサイクル
★我々は、編成飛行とする。
ターゲット(行き先)をGETした地図でメンバーと最終確認。
ブラックタイガー、発信します!! …Y御前のマネ。でも、編成飛行だからBTです。
09:18 【岩屋山古墳】いわややま(終末期古墳)
(通称、飛鳥石)の切石を用いた南に開口する両袖式の横穴式石室
飛鳥駅を北へ。【吉備姫王墓】へ行く途中の道(信号)を左折。
近鉄線路を超えて東側へ。ちょっと走ったところ。
右折は標識があるので間違えない。
無事、第一の標的を撃破したことに気をよくした、BT隊。
そのまま続けて『マルコ山遺跡』へ向かおうとしたが…
道をLOST。
というか。
あまりにも情報が不足しすぎていることが判明(手元地図の縮尺等がいい加減)
次回準備後リトライすることとし、当初のターゲットに戻すこととした。
だが、思わぬエネルギーの流出に、隊員たちの士気は低下。
朝市を襲撃し、エネルギー補給をすることとした。
(出発してから1時間も経過してないのに~(-_-;))
「うぎゃぁぁ~~」と悲鳴をあげながら、坂道をノーブレーキ(車道だぜ)
でこぼこ&細い山道をBTで突っ走る我々。(お尻が痛かったよ…)
しかし、整備されたBT号は快適に我々を力強くつっぱしってくれる。
途中から、標識通り、山道へ。 迷う前に表示があるので、安心です。
09:55 【牽牛子塚古墳】けんごしづかこふん(終末期古墳)
説明⇒ ★
1.天皇陵特有の墳形とされる八角墳である
2.古墳の隣で巨石をくりぬいた石室が見つかった⇒越塚御門古墳?
3.日本書紀に以下の記載がある
『斉明天皇と間人皇女を合葬した墓の前に大田皇女を葬った』
ということで、
ココが斉明天皇と間人(はしひと)皇女の合葬墓と考える説が有力となり。
天皇陵の見直しは1889年以降はない」ということだが。。
階段を下りると…
鉄柵の中⇒
鉄柵の内部は、左右二つの石室(あまりに近距離過ぎて二つの石室を同時に撮影できない)
ただ、くりぬかれているだけの空間ですが、古代ロマンを感じませんか?
山道を戻り、途中分岐にあった、もう一つの遺跡へ。
岩屋山古墳からまっすぐ向かえばそんなに距離はない。
真弓鑵子塚古墳と牽牛子塚古墳は、途中で左右に分かれれるだけ。
10:10 【真弓鑵子塚古墳】まゆみかんすづかこふん7世紀後半頃
民有地のため立入禁止でした。
どっちみち保安及び保全のため封鎖され、石室内部の見学はできない。
と、消えかけの張り紙があったよ(上、右写真参照)
上記金網の張り紙。★この先に遺跡が…
こちらは、立派な立て看板もありません。ぺらーんと紙が貼ってあるだけです。
(上記参照… たくさん遺跡があるからでしょうか。扱いが…)
金網の向こうには、階段(上記右写真参照)。それ以上は、よくわからない。
BT隊は、これ以上の山道を自転車で走破は避け、
(豪雨の翌日だったので、当日は晴天でも足元がかなりヤバイため)
普通の飛鳥コースに戻ることに。
以上が近鉄線飛鳥駅東側の古墳。
(ふつう、飛鳥といえば西側だから、マイナー。。)
次から、『飛鳥歴史公園』に入ります。
《用語説明》
『国営飛鳥歴史公園』
と言っても、公園然としたものでは、ごぜいません。
総面積約60haある飛鳥の豊かな自然と文化的遺産の保護、活用を図る一環として、国土交通省によって整備されたのが国営飛鳥歴史公園です。
公園といっても、フェンスなどで仕切られている訳ではありません。
飛鳥歴史公園地区案内図 飛鳥歴史公園は以下の5地区からなり、それぞれの特色を生かした公園づくりが行われています。
一人でも多くの方に飛鳥を訪れていただき、その豊かな自然と深い歴史を感じ取って欲しいと願っております。
皆様の「来村」を心よりお待ちしております。
[飛鳥歴史公園の5地区]
1.研修宿泊所「祝戸荘」がある祝戸地区
2.蘇我馬子の墓と伝えられる石舞台古墳がある石舞台地区
3.展望台から飛鳥の風景を一望できる甘樫丘地区
4.高松塚古墳や、飛鳥歴史公園館、高松塚壁画館が設置された高松塚周辺地区
5.キトラ古墳壁画が発見されたキトラ古墳周辺地区(現在整備中) 国営飛鳥歴史公園 HPより
『国営飛鳥歴史公園』
と言っても、公園然としたものでは、ごぜいません。
総面積約60haある飛鳥の豊かな自然と文化的遺産の保護、活用を図る一環として、国土交通省によって整備されたのが国営飛鳥歴史公園です。
公園といっても、フェンスなどで仕切られている訳ではありません。
飛鳥歴史公園地区案内図 飛鳥歴史公園は以下の5地区からなり、それぞれの特色を生かした公園づくりが行われています。
一人でも多くの方に飛鳥を訪れていただき、その豊かな自然と深い歴史を感じ取って欲しいと願っております。
皆様の「来村」を心よりお待ちしております。
[飛鳥歴史公園の5地区]
1.研修宿泊所「祝戸荘」がある祝戸地区
2.蘇我馬子の墓と伝えられる石舞台古墳がある石舞台地区
3.展望台から飛鳥の風景を一望できる甘樫丘地区
4.高松塚古墳や、飛鳥歴史公園館、高松塚壁画館が設置された高松塚周辺地区
5.キトラ古墳壁画が発見されたキトラ古墳周辺地区(現在整備中) 国営飛鳥歴史公園 HPより
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